2007/11/11
前回の更新から、随分と時間が経ちました。このビチャビチャサイトに足を運んでくれていた数少ない 常連さんの方も、さすがに数ヶ月も放置プレイさせられていたんじゃ愛想も尽き果ててしまうわなということで、 すっかり無人の荒野と化してしまっているようです。色あせたポスターみたいなサイトになっちまった。
しかしまあ、更新をしていない間いろんなことがありました。やっぱり高校の頃からずっとモノを書いていました から、このサイトの更新がご無沙汰ちゃんになっていたときも、今が時めくmixiなんかにウンコみたいな日記をムチムチ と垂れ流ししていたわけなんですが、どうにも思ったことをそのままストレートに書けないんですよね。
なぜかってと、私は愚かなことにmixiに本名やら出身地やらを何のためらいもなくさらけ出しているので、 下手に自分の気に入らないことやら性癖やらをオッパッピーしちゃうと、そのことに関係ある人がちゃっかり私のところに訪問してきて 「あーっ!この野郎!」てなことになりかねません。それに私は根が腐っていますので、もし私のことを「マトモ」 だと思ってくれている人がいたとして、そんな人にこれ以上、真実を知られたくないのです。そういう人は騙し続けたいのです。
てなわけで、厚顔にもまたこのビチャビチャな世界に戻って参りました。これからは、mixiの比重を大幅に減らして、 こちらの方に入れ込んじゃいと思います。…ああ、この誰にも見られていないという感じ!この開放感!まるで自宅のベランダで チンチン丸出しにして立っているような背徳感プラス爽快感、えにいわれぬ味わいと深みがありますなあ。
さて、今日は久々の更新ということで、これからどんな感じでやっていくかについて、なんとなく語っておきたいと思います。 というのは、今までは「ちょっと電波な感じ」で行こうと決めていたのですが、どうもそれでは按配が悪いなあと感じているのです。 やはり思ったことを自由に書くには、ある程度は健常者にならざるを得ません。ウソつくの疲れちゃった…てわけではないのですが、 むしろ新たな方向性を見つけてゆきたいなあというキモチの切り替わりでございます。
それにしたがって、フォントもデカくして、なるべく神様である読者様に見やすいように、背景を黒地に、心温まる冬をイメージ させる文字色にしてみました。それで多少リンクのページとかのレイアウトがガイキチみたいなことになっているかと思いますが、 サイトイメージ「混沌」の名残であると好意的に解釈していただけたらと思います。
さて、早速ですが明日から「日記」をかかせていただきましょうか。…と、その前に、私の日記というもののスタンスについて、 軽く語っておきたいと思います。みなさん、日記つけていますか。私はつけています。さっき再開したばかりですが。
日記っていうのは、それが他人に見られないという保障があれば、好き勝手なことをかけます。「今日もオナニーしちゃった。 俺は畜生にも劣る。」とか書いても全然平気だし、「同じクラスのサトミちゃんを犯したい、ハァハァ!」とか書いても、全然平気。 なぜならそれは、憲法でも保障されている「考えることの自由」というものの範囲のなかにあって、個人的な日記に自分の妄想を いくら書き連ねても、それはその人の内心にとどまること、単なる記憶にすぎないものだからです。
しかし、その日記をネット上にウプするとしたらどうだろう。同じクラスのサトミちゃんにハァハァしてることについて、 あまりに狂気を孕んだ内容を赤裸々に書いてしまうと、ヘタをすると「通報しますた」と言われかねません。いくら匿名のネット だからといってなんでも書いていいわけではなくって、強迫や中傷といった、刑法に触れるようなことについてはなお法律がドーン と行く手をはばんでいますし、どこにもかいちゃいないが不文律のようなものも存在します。
あまりに逸脱したことを書いてしまうと、ブログであれば炎上したりするし、そういえばこのあいだ、ペドの小学生教師が 変態サイトを作っていたということで社会的な制裁を受けたはずだ。つまりネットというやつは、普通なら恥ずかしくって他の人 には見せられないような日記を「ひとにぎりの勇気」でポンッとアップロードできる程度には自由な感じがあって、その一方で、 過激なことをやりすぎると自分が危険になってくるという、発信者の裁量が問われるような一面があります。
mixiをやってるほとんどの人は、そうしたちょっとした危険がイヤで、毒にも薬にもならないことものをかいているわけで、私も そのうちの一人でした。しかし最近とみに思うようになりました。「mixiじゃあモノ足りない」と。そう、mixiでは所詮、 友達や知り合いで固まってしまって、結局のところ、本当にいいたいことは書けなくなってしまう。またあまりに 私生活のことについて、個人の性癖に関わることについてなんかは、本当に書くのが難しくなってしまう。
やはり私には、こうして個人で運営するサイトに、ウンコ日記をムリムリとひねり出してゆくのが性に会っている気がするのです。 では、私をはじめ、世の中にいるある人はなぜ突然、「ああ、日記を書きてえ」と思うのでしょうか。自分のことを知ってほしいから でしょうか。何かを残しておきたいからでしょうか。
私の場合は、あとになって、「あのとき自分はこんなことを考えていたんだ」っていうことを思い出すための縁としたいというのが、 イチバン始めに来ます。もちろん、読者の人に自分のビラビラの裏側(卑猥なんていわないで!)まで知ってほしいというのもありますが、やっぱり 最終的には個人的な理由に落ち着くというか、同じようなことをやってる人はみんなそこに行き着くと思います。
まあ理由なんてものはあってなきがごとしです。私はなぜメシを食べるのか。必要だから食べるのでしょうか?それだったら、 ブドウ糖かなんかを、水と一緒に飲んで生活すればいいじゃないですか。多分それには美味しいものを食べるとか、細かい理由や目的 のようなものが介在するんでしょうが、たぶん「必要だから」っていうのがイチバン大きなものだから、そう言っておけばいいかなって なノリです。
これから「世の中腐っとる!」とか、「オナニーがやめられねえ!」とか思った時なんかにすごく張り切って日記を書いたり、 またなんでもないときに「今日は寂しい一日だった」とか「こんなことをしていていいのか」と自分を励ます意味でも日記を書いたり します。よくもまあ、人様の前にこんなスカトロ日記を公開して恥ずかしくないなと思われるかもしれませんが、どうかみなさま、生暖かい 目で視姦していただければ幸甚であります。…あ、「みなさま」なんていないんでしたっけ。わーい、うんこうんこー。何書いても平気だなこれ。
2007/11/12
実家っていうのはやっぱりいいですね。というのは私、大学生になってから下宿に住んでるんですよ。 いちおう実家と大学は同じ県内にあるので、良識のある友人からは、「おまえゼイタクじゃな!」といわれる わけですが、確かに私はゼイタクです。親のスネをかじっております。
しかし、大人になると「時間は金であがなうようになる」といわれるように、ちょっと鈍行でいけば 安くなるのに、大人というやつは新幹線を利用したりして、ちょっとでもはやく、貴重な時間をムダにしないように しています。それと私がやっていることは、そんなに違いがないんじゃないのかなと思うわけです。
それに、実家には帰ろうと思えばいつでも帰ることができるので、「帰ってきてくれ」といわれれば、 いつでも帰ることができるということで、家族も安心して私を放任してくれている。でもそうなると、メシとか 洗濯なんかは全部自分で世話しなくちゃならないので大変ですが、まあいちおうの生活力というやつはつくし、 友達にパスタなんかを食べさせると、「おいしい」って言ってくれるくらい料理の腕もあがってきています。
でも、たまには実家にはかえりたくなるものです。今日は祖母が誕生日だということで、また祖父の畑の手伝い をするということで、かえってきました。母も私が帰るのを心待ちにしてくれていたようなので。
実家がいい何がいいって、やっぱり静かなところが最高っすよね。下宿は街中にあるので、やっぱり車の音が プープープープーうるさくって、空気も排気ガスっぽい感じがする。窓も小さいので、太陽のあかりもなんだか十分に 入ってこないし、「これからメシを作らなくちゃいけない」と思うと、「マンドクセ」ってなる。
その点、今日は部屋一杯に満ちる明かりで目が覚めました。ムクリとおきて、窓を前回にして冷たい空気を肺 いっぱいにすって、また布団にモグリこみます。顔だけ冷たくって、体だけ暖かい。なんか足じゅうに粟粒がブワーッ ってたって、それが刺激になってからだを「うーん」って伸ばしたくなるような感じ。久々に昼まで寝ちゃいました。
起きたら祖父と母とで畑仕事へ。ちょっと離れた公園にあるんだけどね。うちのエモっていう犬を連れて。この犬、 アホな犬でして、いっつも道路の真ん中でウンコをするという変なクセがあって、車などが通ると恥ずかしいどころの騒ぎ じゃないんです。本当にイチバンはずかしいのはエモだろうとか思うのですが、このメス犬、みんなに見られながらする のが好きな変態犬のようです。
いつものように、道路の真ん中でしたモノを処理して、畑のほうに向かいます。レモン、オレンジ、みかん、黒豆、 そのほかにもいろんな野菜がいっぱい植えてある畑。数年前、祖父といっしょに耕運機や鍬を使って開墾した畑ですが、 いまでは立派に作物が青々としげってる。そんな畑をひとつ一望にみまわしていると、秋のすがすがしい一条の風が私の 頬をなで、「きゅーっ」とした気分になりました。何?きゅーって、といわれても答えようがありませんが、「きゅーっ」ってなったのです。
私はツルハシをもって、畑にうまっているアスファルトをひとしきり取り除き、放し飼いにされたエモを追いかけ、黒豆 を抜いて猫車にのっけます。ああっ、なんていい天気なんだ。そう思いましたね。今日は関東平野の上らへんに発達した低気圧 があるらしくって、風がピューッと気持ちいい。雲も少なくって、本当に秋らしく澄んで美しい青空でした。ケムトレイルひとつない。
家に帰ると、祖父が前々からみたいといっていた刀の素振りをみせました。私は大学に入学してから武道をしていますから、 祖父は私に買ってくれた刀を私が振るのをみるのが楽しみだったらしく、携帯で私の百本素振りの様子をうれしそうに撮影していました。 きっと喫茶店の友達にみせるのだろうけど、私服に素足で帯だけまいた姿をみせるのは、ちょっと不本意かなーなんて思ったりする。
今日はそんな一日でした。特に何もない、幸せな一日。今週末には大学で刑法のおテストがありますから、ぼちぼち勉強をはじめない といけませんね。昼に耕して、夜に勉強する。なんていうキモチイイ生活でしょう。本当は、夜から稽古があるんですけどね。 私にとっての理想の生活というのは、自分が好きなときに、思うように有益なことをできるっていうような生活ですね。いまはまだ無理ですけど、 そのうちそういう生活を手に入れたいというささやかな夢を持っています。
2007/11/14
明後日あたりから急に寒くなるそうですね。まったく今年は夏の力がやたらと強くて、 待てど暮らせど秋の風がやってきてくれなかったわけですが、ようやくです。
この時期は古武道関係でとても忙しい。近日中にちょっち大きなお祭りがありますので、 それに向けて会長連と会議会議会議です。もっとも私らは下っ端なので、資料をまとめたりお茶を出したり といった端役ではありますが。結構従順に頑張っております。
古武道といえば、先月に友人が足の骨を三箇所骨折してしまったので、先日そのお見舞いに参りました。 歯学部の友人なのですが、自宅を訪問したらなんか骨学の本を持ち出して、肘関節の研究をしてたんですよ。 まったく懲りない奴だなあというか、古武道関係者っていうのはちょっとどこかヘンな人が多いです。 こんな言い方をすると、私も含んでしまうのですが。
変わった人といえば、幼い頃からいろんなものを刀で斬っていた人とかね。いつぞやの演武では デモンストレーションとして少年マガジンを両断しましたが。マガジンに恨みでもあるのでしょうか。 いえ、そんなのは関係ないのです。ただ純粋に、技を追求していく心があるのみです。
私は学生ですので、そうした古武道と勉強の間で板ばさみになっているわけですが。刑法を重点的 にやりたいと思っていまして、この調子では明後日のテストは確実に落としてしまいます。
忙しいときというのは、充実感と疲れと頭の冴えが三つともズドーンと突き抜けた感じになります。 そんななかでのせめぎあいというのが、結構楽しいようで確実に体にガタをきたすようになるんです。 「体が資本」といいますので、ほどほどのユルさを心がけておきたいと思います。でも、頑張るのはいいことだ… って、どっちやねん、このウンコ!
2007/11/15
彼女に肘打ちを食らわせてしまいました。きっとこれを聞いた人は、「DVか!?DVは許せん!」 と思うに違いありませんが、私はそういう粗野でお下品なことが大嫌いですから、もちろん故意では ありません。不可抗力です。
とりあえずそのことでエラい怒らせちゃいましてね。肘打ち食らい返されましたもん。でも私、 寝ている間にまさか自分が彼女に肘打ちを食らわせていることなんて知りませんから、彼女の仕返しで 起きました。
「え、どうしたん?」といって飛び起きる私ですが、彼女は「肘打ちが…ヒドい」とかなんとか いって、なんだかよくわからない。とりあえずこういうときは「メンゴメンゴ」といって謝るに限る。
それからしばらくはお互いに寝ていたみたいです。朝になると目覚ましが鳴り、私のほうが先に おきました。「おい、おきろよー」と。全然起きない。だからとりあえず、ベッドから降りて、座布団に 座ってテレビを見る私。しばらくすると、背後になんともいえないオーラが。
いやね、ジーッとみてるんすよ、こっちを。こちらを試すように、一瞬だけ眉根にシワをよせやがったし。 私もそういうので動じるのは嫌なので、「なんだよ」って感じで見返していたわけですが。
「肘打ちはヒドいわー…」って。また言ってます。寝ても覚めてもっていうタイプなのか、まだ 根に持っています。「メンゴメンゴ」言うたのに。いやね、「メンゴメンゴ」なんてフザけた謝り方で 許してもらえるかバカ!って言われるかもしれませんが、あの当時はちゃんと謝ってますよそんなもん。 書き方をオモシロくやってるだけですよあくまで。
とりあえずバシバシ叩かれて嫌なので、布団にもぐりこむことにしました。そしたら布団の上からも バシバシたたいてくる。もう狸寝入りをするに限るな。しばらく彼女のことを忘れていたいって思ったもの。
そしたら、俺の狸寝入りを信じてか、ただの当てこすりかしりませんが、黙って部屋を出て行きました。 これはちょっと腹がたったね。私だって好き好んで彼女に肘打ち食らわせたりしないし、だからワザとやった んじゃない。
そのまま「もうしばらく彼女のことは考えんようにしよう」と思って昼ごろまで二度寝しました。起きてみると、 携帯がピコピコ光ってる。彼女からだ。
「もう怒ってない」だって。自分だって人のことバシバシたたいて、黙って出て行ったクセに。 なにが「また会いましょう」だ。もうしばらく呼びたくないぞ。
先日、寝ぼけて彼女の鼻頭を叩いてしまったことに続いて、肘打ちを食らわせてしまったことは謝るが。
2007/11/16
今これを書いているのが、午前0時なワケですが、これを果たして日記と呼んでよいものなのか どうか。
まあ、16日の日記であるということには変わりはないので、張り切って書いてゆきたいと思います。 して、何を書くか。運動のことでも書きましょうか?それとも、15日の日記の続き、つまり彼女とその後 どうなったかについて書きましょうか?
まずは運動のことを書きたいと思います。運動といえば、皆さん何をされていますか?野球ですか? テニスですか?武道ですか?水泳ですか?バレーですか?ラクロスですか?アメフトですか?それともなんだ、 専らテレビで格闘技なんかを観戦するのがお好きでしょうか?
運動なんてものは、高校を卒業したらほとんどの人がお沙汰になるものだと思います。そこから先はもっぱら、 プロスポーツを消費する、スポーツ消費者としての道くらいしか残ってません。「感動をありがとう」型社会ですから、 このご時世なかなか自分から動いてやろうっていう風にはならないと思います。
そうであるにも関わらず、メタボやら糖尿やらと、運動不足に関連した病っていうのは現代っ子の深い悩み でもあるわけです。そもそも食生活が変わっていますからね。昔は堅いものとか、野菜魚を中心とした質素のもの がデフォルトでしたが、今じゃあ何でもやわらかくって、油がたくさん使われています。昔はエラいじいさんとかしか 食えなかったものを、今じゃあ子供が美味い不味いいいながら食ってる。
オマケにコンビニで売られている弁当なんかには、魔法の粉と呼ばれる添加物が山ほどかけられたりなんかして。 ミートボールの味なんてのは、粉の組み合わせで出来ちゃうらしいですね。どっかのコンビニの賞味期限切れの弁当を 試験的に飼料として豚のえさにしてたら、その養豚場の豚で生まれた豚は畸形ばっかりになっちゃったとかね。羊水なんかは、 灰色ににごってたって話じゃないか。
ということで、運動不足だけじゃなくて、食うものだって気を使っておかないと、そのうち変な病気にかかって 死んじゃうのは目に見えています。
しかしながらやはり、運動というのは重要です。人というのは、代謝の力でできているからです。この間お亡くなりになった 黒川紀章さんなんかは、建築にメタボリズム理論を取り入れていましたが、先見的だと思います。例えば私が大好きなどん兵衛 を一年間食べ続けていると、私の体はほとんどどん兵衛でできていることになります。
食べ物によって体が構成され、運動はその再構成、代謝を促進する。食べ物を軽視していたら、脳みそまでどん兵衛になりかね ませんし、運動を軽視していれば、代謝が行われなくなって体にカス、いうなればウンコがたまっていくことになります。これが本当のクソ野郎ってか。
代謝がよく行われている体というのはどういう体でしょうか?それは太っていなくて、そして発熱のよい体のことです。 どうやったらそんな体を作ることができるのでしょうか?私は考えました。
少なくとも、通販でやってる「筋肉を勝手に振動させてくれるタイプの機械」ではうまくいかないでしょう。脂肪をゆらした くらいで理想の体になれるんだったら、一日中電車にでも乗ってろっての。
ロデオマシーンもそう。そりゃ最初は、機械から振り落とされそうになるので、それにつかまろうとして筋肉をつかいます。 でも、ああいうのはすぐにパターンを覚えちゃって、乗りなれてしまう。木刀振りなんかもそうですが、同じ動作をずっと反復 してると、あまり疲れないやり方、最小限のやり方というものを運動神経が記憶してしまいますので、これだったら本物の馬に 乗って、乗馬の技術を磨いたほうがよっぽどいい。
ロデオマシーンに最小限のやり方で乗れても、何の特にもなりゃしないのです。第一恥ずかしくないんかい、 あんなウィンウィン動く機械に乗って。結婚して間もない幼な妻とかが騎乗したらどうするんだ。彼女のロデオマシーンはダンナだろうが。
そういうわけで、よい体を作るためには、どんな運動をするにしても、やるにつれて結構回数が増えてくるのは已むを得ません。 腕立てだって、最初は30回くらいしかできなかったのに、そのうち慣れてきますから、だんだんと回数が増えてくると。ある程度 で成長の限界がくると思いますが、その時点を探すまでが大変でしょうね。
これともう一つ。私考えますに、運動には重たい棒を振る筋トレタイプと、軽い棒を何度も振るような呼吸器タイプがある と思うんですよ。いい代謝をするには、この両者をいいくらいに配分してやる必要があります。
格ゲーをやったことある人ならわかるかもしれませんが、格ゲーのキャラって大体三種類に分けることができると思うんですよ。 すなわち、でかくて重いんだけど、力が強いゴリラタイプ。軽くて素早いんだけど、攻撃が軽いタイプ。そして、中肉中背の標準タイプ の三つです。
いい代謝をめざすには、この中肉中背タイプがいいと思います。もっとも、この三つに分類されない特異キャラはいますよ。 標準タイプのスピードがありながら、力が強いマッスルタイプとか。こういうのって、たいてい強キャラって呼ばれるんですよね。 他にも、装甲が紙みたいで、なおかつ攻撃も弱いんだけど、ちょっとした特殊能力を持っている、とか。
まあみなさんは、最初からそういう濃いキャラを目指すのはやめましょう。まずは標準タイプになってから、そこから派生させて ゆくべきです。謎の液体を飛ばすとかいった、妙な特殊能力はいりません。それには、走りこみや棒振りといった呼吸器系にくる有酸素運動と、重たい物を持ち上げたり腕立てしたりするような 無酸素運動を、上手く組み合わせることです。
個人的には私、最近棒振りをおろそかにしていたため、ちょっと運動しただけで息がきれるようになった自分に気づき愕然としました。 筋力だけは、一年前は体重65キロだったのが、今は筋肉量の増加で73キロくらいに増えたのですが、そっちのほうはちょっと劣るようになり ました。
筋肉ばかり発達して鈍重そうな人っていうのは、見方によってはかっこいいかもしれませんが、私に言わせればウンコですね。 古武道やってればわかるのですが、目突き金的、そして武器術を考慮した場合、かならずしも力ではなく、素早さ敏捷性といったものが かなり重要になってまいります。柔道でも動けるデブ、と呼ばれるタイプがいますが、力を重視するならそういう風にならなくちゃなりません。
今日は自分の運動についての大まかな考えをぶってみましたが、どうでしたか?実際、運動するのはしんどいですからね。 言ったり考えたりするのは一人前にできるけど、実際に動くのは大変だって人が多いんじゃないかなと思います。
とりあえず私は、実行しています。毎日棒振り300本を自らに課しています。そのうち木刀素振りも加えたいと思っているところです。 あとそういう運動をするといいところっていうのは、睡眠の質がよくなることです。だいたい人間なんて一日の何分の一かは グーグー寝てすごしているのですから、その部分をおろそかにしていると、他の部分まで崩れていっちゃいます。
いい運動して、良い夢みると。知り合いの弁護士さんなんかも、忙しいときはどうするかって聞くと、忙しくてもしっかり 寝ることだっておっしゃっていました。私もこんなものを書いている場合じゃなくって、はやく寝なくちゃダメですね。って、明日は 刑法のテストじゃねーかバカやろう。彼女のことなんか書いてる場合か。
2007/12/8
「健康」というものは普段はそのありがたみが分からないもので、失って初めてそのありがたみが 分かる、なんていう手垢塗れの台詞を使うのは私の本意とするところではございませんが、それでも使いたく なるこの台詞の使い勝手の良さといったらありませんな。
というのも私、つい今朝まで地獄のなかをさまよっていたのであります。やたらと火照る顔面と、ずるずる まっ黄色の鼻水に、ガンガンする頭をかかえて。こんなに苦しい思いをするはめになったのは、全部先日の京都行き のせいであるといっても過言ではありません。
京都で何があったかというと、それはもう武道の演武会に決まってんだろうがということで、私はりきり にはりきりまして、連日5時間をゆうに越える練習を重ね、遠征から帰って参りましても出稽古にいったりと、最後の 最後には風邪になってまで見取稽古を敢行する始末。
それもこれも、「少々の風邪なら稽古すれば治る」という先輩の言説を素直に信じていたからという点に 原因を求めることができるわけですが、結構この世を生きてきていても、こうした阿呆みたいな過ちを犯してしまうんだ ということで、慄然たる思いがいたします。
しかしながらこういう苦しいときに限って、やらなければならないこと、なさねばならないことに追われる ものであるということですが、これはなぜなのでしょう?ひとつは部活動のことについて、私が部の中でも重要な 位置にありつつあるというときに、このようなことになるという点について。
もうひとつは、彼女が精神的に不安定なときに、このように私の不調で彼女に十分にかまってやれないことについて。 私の彼女は「言いたいことを内側にためこんでしまうタイプ」であるため、そこのところをうまく引き出してやらないと ストレスであぼーんしてしまう性格であるのですが、私も私であぼーんしちゃいそうなので、なかなか思うように動けず ふがふがしている状態とでも言えばよいのでしょうか。
そうはいっても、案外彼女も私のいないところで自分なりの解決策を模索しているようです。というのは、彼女の 日記に「これからは、いいたいことははっきり言おうって思った。泣くかもしれないけど覚悟しとけ。」って書いてあった からだ。うんうん、その通り。例えそれを口に出すことで一時的に険悪になろうとも、長い関係を築きたいと思うなら、 結局のところ、いいたいことは言っておいたほうがいいのだ。
もうひとつ、部のことについてはスルーしていたが、これは本当にむず痒いんですよね。刀を振りたいのに振れない、 友達と柔道したいのに、柔術したいのに…できない。このむずがゆさ。そして、骨折していた友達の所に京土産すら持っていけない この不甲斐なさ。自分が病気やなんやで、みんなから置いていかれるのは、こんなにも辛いのかと再認識するところです。
まあ、とりあえずは復活しました、一週間ぶりではありますが。これからどのように動いてゆくべきか。勉強にしたって、 憲法のゼミを休み、哲学を休み、ロシア語を休みという風に、重要な単位を軒並み落とす可能性だってなきにしもあらずってやつだ。 これからの私の活躍というか、復活劇に期待してください。頑張ります。
2007/12/13
私が人と付き合うときに大切にしているのは、相手に恥をかかせないということです。 他にもいろいろありますが、基本姿勢としてひとつ貫かれている信念は何と問われて真っ先に 思い浮かぶのはこのことです。
それは、相手と親密になればなるほど余計にそうです。彼女などには、絶対に恥をかかせたく ありません。もっとも私いじわるですから、私と二人でいるときには、おちょくったりして遊ぶこともあるでしょうが、 人前においては、そういう点に最大限に配慮しています。これが人間関係においてもっとも大切なもののひとつであると 思っているからです。
恥をかかせたくない、といいますと、なんだか上から目線だなあという人もいるかもしれませんが、 言い方を変えればその人の自尊心を傷つけないということです。同じ様態の場面においても、笑うことで 自尊心が傷つけられる人、その逆に、笑わないことで自尊心が傷つけられる人、実にいろんな種類の人がいます。
相手の自尊心について敏感でない人というのは、実際のところ心の底から尊敬されることはありません。 心情の機微というものへの理解は、人によって優れている者から拙い者までいろいろですが、この差が著しい 場合には、一方による他方への顕著な軽蔑が生じる場合と、逆に理解が生じる場合があります。
後者は、それを前提とした関係がされている場合、例えば一方が他方のことを「あいつはかしこいからかなわない」と思っていて、他方が一方のことを 「こいつはこういうところがあるけどいいやつだ」と、お互いの高度な理解が、そうした差を補完しているような関係において顕著に見られます。 「まだ子供だから」という親と子の関係などもそうですね。
では、自尊心が高すぎる人というのはどのように理解するべきなのでしょうか。自尊心の高い人というのは、 しばしばその気高すぎる心から、人に誤解されます。
そのような人は人に要求するものが一般的にいって非常に高度なものであるため、わがままな人という 風にみられます。しかし、その人の自尊心のあり方というものを一度理解することができれば、その人とは非常に 親密な関係を築くことができるでしょう。
しかしながら自尊心というものは私、悪いものと良いものがあると思っています。歪な形で育った自尊心 というものは、人に理解を要求するばかりで、人に何も与えませんし、そういう人は他人の自尊心というものに 無頓着であることが非常に多いです。では、自尊心の気持ちの良いあり方というのはどのようなあり方なのでしょうか。
それは端的に言えば、なるべく他者の自尊心を自分の自尊心より尊重する心意気をもつことであると思います。 それは自分の自尊心を放棄するということではなく、自己の信条というものに自信を持つ態度を貫きつつ、 他方で他者の自尊心というものを、善悪の判断はまた別として、その存在を認めるというあり方です。
善悪の判断というのは時として危険です。相手の自尊心の所在というものが分かるだけの機敏さを備えている 人でさえ、人を「好き」と「嫌い」でハッキリと二分してしまう人は、最終的に心から信用されていないことがままあります。 なぜならそのような人にかかっては、今その人に受容されている人でも、いつかはその人の恣意的な好き嫌いによって反対の 立場に転じることがあるのではないかという不安が常につきまとうからです。もっとも私個人的には人に好悪をつけて、実際のそのように振舞える人というのはさばさばしていて好きですが、 自分の価値観に沿わない人を徹底的に糾弾するような人格には、すこし不安を覚えます。嫌いな人間にも自尊心があります。 そうした人間の自尊心というものを尊重しつつ上のような行為に出られる人というのは、見ていて気持ちがよいですね。