2006/5/17
だんだんと空気が生暖かくなってきたので、日常のちょっとした風景に、めちゃめちゃ興奮するんですよ。ほら、草とか。すごいですよね。緑の。歩いていると、目につくじゃないですか。みんなやってるみたいに、プツッと折って、ギリッと噛んでみるといいですよ。爽やかな夏のかおりが口のなかに広がりますよ。汁。緑。超天然の青汁ってやつですか?あれいいですねー、クセになっちゃいます。毎日チューチューしてます、僕。
あれもいいですね、ドブの水。いわゆるドブ水?気温が高くなって、道路あるいてると側溝からにおってくるんですよね、たまりませんよ。ムアッて。小さいころ思い出しますよ。こないだ我慢できなくなってね。道路に顔ベッターつけて手ぇ伸ばしてヘドロかきまわしてさ。指についた黒いのを、うまい棒食った後に手についたのを舐めるみたいにして、指に吸いつきましたよ。なつかしかったですね。懐かしすぎて、ちょっと視界かすんじゃいましたよ。そういやザリガニ、みなかったなあー。昔はよくあんなの獲ったなあ。
干した布団で寝るのも、この時期最高ですよね。季節のにおいをいっぱいに吸った布団。僕はそんな布団に吸いついて寝るんです。ほら、猫がやるように。昔クロ猫かっててさあ。今は死んじゃったんですけど。あいつがさ、よく僕が寝ているところにきて、ゴロゴロ喉で変な音だしながら、毛布をベタベタにするまで吸いついてたんですよ。そんで僕も、猫のような気持ちになって、吸うようになりました、布団を。そしたら新たな境地がみえてきたんです。自然のいちぶになれた気がしたんです。動物のやることも、馬鹿にはできんですね。今度は犬のようになって、電柱に放尿したいと思っています。
2006/5/19
ふとした瞬間に、とつぜん井戸の中に突き落とされたかのように、自分の内側へダイブ してしまうことがありませんか?その瞬間には「鍵」があって、ある特定のツボ(鍵)が押されると、 思考がまるで生き物になったかのように、過去から現在、そして未来への時間の流れを行き来し、 永久にみつけられそうにない「問」を求めてはいずりまわります。感覚が針の先のように繊細になり、 記憶がにおってきそうなほどです。それは同時に、記憶に対して無防備になるということでもあります。傷つきやすくなるのです。
「鍵」にはいろいろなものがあります。好きじゃないけど嫌いじゃない人に、ちょっと普通じゃない 好意をもらったとき。昔の友達が、僕の知らない遠いところで元気にやっているとわかったとき。 小学校の頃に遊んでいた公園のブランコが、夜静かにぶら下がっているのをみたとき。昔あったもの が、今はないとか、昔あったものが今現れたときなどに、強く「鍵」の存在を感じることができます。 細かいこととか、どうでもよくなってしまいます。時間の世界を、細長くはるか彼方へと続く「道」のように とらえられる瞬間なのです。普段の僕たちは、そういった「見えない世界」を感じとれないでいます故。
「見えない世界」を感じとること。「見えない世界」は、人によってそれぞれ違うと思いますが、 僕にとっての「見えない世界」とは、「時間」のとらえかただと思います。僕の生き方のなかでは、「時間」が 強力なスペースを占めています。僕ははじまりが嫌いで、おわりが好きです。それは新しいものが嫌いで、古い ものが好きなのとは違います。新しいもののなかにおわりを感じれば、僕は心が落ち着く。同時に、古いものの なかにはじまりを感じれば、胸がどきどき鳴って不安になります。幼いころからずっと。
僕の生き方は、その法則性に支配されているといっていいかもしれません。だから僕は年をとらないのです。 はじまり、おわりの世界に生きている。僕が自分の人生におわりを感じたときに、本当に年をとるのだと思います。 そして自分の人生を考えるときは、「鍵」によって内側の繊細な感覚に触れるときです。「鍵」はある瞬間に発生 しますが、普段、それが僕たちの領域に顔をだすことはありません。よく晴れたある日、空に向かって気持ちよく 伸びをしたとき、ひとつの黒い旗が中空にはためいていることに不意に気づくかように、それは突然やってきます。 快感にも似た恐怖を伴って、突然。
僕は最近、よく内側にひきずりこまれるようになりました。もっともそれは、雑音からいっぽ外にでて、 急に静かになった世界で。この感覚は、あの黒い旗の予兆である気がしないでもないのです。しかし僕は、そんな感覚を 楽しんでいる自分がいることも知っています。過去から未来に向けて、ほんのひとときではあるけど、真っ白な世界 にある真っ白な「道」を自分が歩いていることを感じること。これは僕の不安であり、また僕の望みです。そして、 おわりを感じることが、生きる意味というものを自ら問うことであるという僕の信念が真のものであるとするならば、 僕はもっと、自分がその「道」を歩いているんだという実感を、もっと、もっと長く感じていたいのです。 「道」を感じることは、おわりを知ること。空虚に生きるべからず。考えず、悩まずに生きるべからず。
2006/5/21

この写真、明け方だと思う?それとも夕方?普通、パッと空をみて、そんな簡単な問い に頭を悩ませることなんてないだろうが…。正解は夕方だ。空が濃すぎる。朝の空は、もっと白く薄い。 ただ、この日は変だった。なぜなら、写真を撮った方角は南東だったからだ。夕方なのに、南東 の方角があかるい。西は暗かった。東は「はじまり」、西は「おわり」の象徴。しかしこの日は、 「はじまり」が「おわり」で、「おわり」が「はじまり」だった。ヒトで言えば、生れ落ちた 赤ちゃんは老人だったということだ。死して生まれるということだ。肛門でキュウリを食べて、口でキュウリを排泄する ということだ。

SMの主旨は「支配」と「服従」。Sはslave(奴隷)、Mはmaster(主人)。世の中はこのカンケイ で成り立っているといっていい。僕は大学で「単位」をとりたいが、単位を認定するのは「先生」である。 唾をひっかけたくても、できない。その力の正体とは、「権力」。権力とは、ヒトとヒトの間に発生する、 見えない力関係。親友だってそうらしい。どんな親友間でも、見えない力の差があるという。片方はかならず、 片方に精神的に「服従」し、片方は「支配」する。もちろん、見えない。これが逆になったら、おもしろいと 思わないだろうか?今までケツの穴に棒を突っ込まれていた側が、突っ込む側になる。重力のように、抗えない 力でもって、世の中の全てのSとMが入れ替わったなら?「支配」していたものは「服従」の恥辱(快感?) をあじあわされ、服従していたものは「支配」の優越(困難?)を知る。ヒトはこの両方を知ったほうがいい。本当、そう思う。
2006/5/21 #2
朝10時くらいに起きるのって、どんなカス?と耳元で囁かれたような気がしたので、 少し考えてみた。いや、考えるまでもなかった。それって大学生じゃん。つか俺。日本に 「腐れランキング」があったとしたら、間違いなく上位に来ると思われる、俺だよ。
ホント鶏冠にくるよなァ。もういい加減、動機とか理由とか?そういうの考える歳でも ないんだけどさ。何コレ?ストレス無しの生活!!酷ェよなあ、俺ってホント因業。ストレス の多い生活を送ってた時はさァ、「このストレスから解放されてェ!」って思って、いろいろ あがこうとしてたのに。心の底から、蜘蛛の糸さがしてたよ、嘘じゃねえ。
それでも健気にやってたら、いつか幸せになるじゃん?でも幸せって所詮は虹の足なワケで。 幸せなときは、「自分は幸せだァ!」なんて思わねェし、思ってもせいぜい5秒くらいしか持たねーからな。 すぐに飽きちまって、馬鹿やりたくなって、ストレスためて、その繰り返しじゃねえか。 本能が、何かの麻薬を欲してるのがよーくわかるぜ。
どうすればいいんだ?オイ!ちょっとそこらへんを走ってこようか?走れば治るかなあ、この病気。 夜なんだけど…足の筋肉の繊維が引きちぎれるまで走って、肺を潰して、喉カラカラになるまで走って、 神社かなんかの床下で寝て、風邪ひいて、霞む眼で朝日みて、まだ生きてたら、何か変わるかなあ? エエー?自殺願望なんかじゃないってェー。心の底から、蜘蛛の糸をさがしてんだよォ。5秒間の天国さがしてんだよォ。
そういや昔、友達と「限界部」って部活作ってさァ。部員は2人なんだけど?限界まで体を酷使すんの。神社の階段 ひたすら上り下りしたり、腕立てしたり、腹筋したり、ダンスしたり?山で。最後のほうになると、友達 ゲロっちゃってさァ。俺は肺から血のニオイがしてきたんだよ。あんとき俺は楽しかったけど、あれを 「幸せ」っていうのかァ?
そのうち冷静になるんだよ。「俺は馬鹿か?」って。でも酒飲まされた後といっしょなんだよなあ。 「そうだ、馬鹿だったんだ、テメーは」ってことだよ。オナニー野郎って、情けねぇよなァ?あれは、行為を している自分を眺められねえからできるんだよ。だから「禁欲」なんて修行のネタにつかわれるんだ。 馬鹿にならないための訓練っていうのか?でも、「禁欲」もなんか馬鹿っぽいんだよなあ!!欲丸出しで 生きてるやつのほうが、賢いッ!って気もするんだよなァ〜!貯金全額おろして、パーッと使うかなァ!?
でもそれも明らかに「阿呆」だッ!じゃあ中庸?中庸なのか?程度よく、節度あり、出すぎず引きすぎず。 あああああああああああああああああああこれじゃあ今までと何も変わんねーじゃねェァァァァァァ!!!! ということに気付くのも時間の問題なワケでェ。reincarnationだよなぁ。そのうちストレスがないことが 虚脱になって、その虚脱がどんどんと俺の肉を老化させていくんだァ〜。俺の若くてピチピチした肉をよォ〜。
そういうワケで俺は、そろそろ「ストレス週間」を設けようかと思っている。より高い跳躍をするためには、 ただ地面を蹴っていただけでは駄目だ。限界まで足腰に負荷をかけて、その反動で空へと飛び立つのだ。 「トランポリン」に相当するモノだって利用するかもしれん。中庸だとかなんとか、そういう次元を超えられる ものは何か?それは「自己啓発」だッ!!すなわち、己をコントロールする精神力ッ!そして、コントロールできたという自信が、 己をさらなる高みへと昇華させてくれるッ!己への余裕は、他者への余裕!他者への余裕は、他者への優しさ! 他者への優しさは、己への優しさ!己への優しさとは、万物への肯定ッ!全てを受け入れることは、幸福、不幸、 悲しみ、愛情、怒り、恨み、喜び、全てを受け入れるということだッ!まさに最強!まさに黄金律!
期間は1週間。飲むもの自由、食べるもの自由。排泄自由、風呂自由、ファッション自由、お喋り自由!自由、自由、自由! 制限される自由とは…「己が嫌悪を感じた事柄」ッ!例えば、「これでまた太っちゃう」→「だったら玄米だけにしよう」 「またやっちまった」→「それじゃあ右手を封印しよう」「(ちくしょう、あの野郎め…)」→「ちょっと顔かせ、テメー 気にくわねえんだよ(と口にだしてみる)」「またお風呂でおしっこしちゃった」→「罰として尿道に塩をすりこもう」 このように、どんどんと自由 は制限されてゆくッ!もっとも、嫌悪感を伴わない行為を矯正する必要はない。内面との果てしなき戦いッ! この先に何があるのかはわからないが…得体の知れない「使命感」だけが、正義に燃える炎ようにたぎってくるぜ!! みんな見ていてくれ!俺はこの世の全てを受け入れる存在になってみせる!!!とりあえず、一番にパソコンの電源を切るぜェッ!
2006/5/24
生ゴミが、あんなに恐ろしいものだとは思ってなかった。普通に小松菜の根っこの部分 なんかをバケツに放り込んで、フタをしてベランダに置いといて、数週間置いとくだろ。それで 久しぶりにフタを空けたら、なんか高校の生物で習ったショウジョウバエの子供みたいなのが 100匹くらい、ヴーンって飛び出してきてさ。あまりの数に、黒い塊がでてきたのかと思ったくらいで、 息ができなくなるくらいビックリした俺は、いそいでベランダの窓を閉めたさ。そしたら窓にハエが ビッシリ引っ付いてきやがって、近くでみたら眼とかが赤かったりして、本当に怖かった。膝が 砕けそうだった。それから、おそるおそるハエの引っ付いていないほうの窓を少しだけあけて、そこから ゴキジェットを噴射して、ほとんど殺した。バケツにも、10秒くらい噴射してた気がするな。それでも 生ゴミを入れるゴミ袋とバケツの間に、まだたくさん生き残りがいたので、そいつらは全部潰した。 もう二度と、あんな恐ろしい思いはしたくない。生ゴミはちゃんと捨てよう。
2006/5/26
心にとって大切なもの
心への毒は、信頼を失うこと
心を毒されないためには、信頼しないこと
それでも信頼してしまうのが、信頼を得る資格のある人
心への薬は、独りになること
独りになれば、いずれ独りでいられなくなる
独りでいられなくなったときが、信頼を取り戻すとき
心に必要なものは、信頼すること
信頼は裏切られるもの
信頼は裏切ってはいけないもの
信頼は最後に求めてよいもの
2006/5/26 #2
私らの外見は、肉であり、それはすなわち眼であり鼻であり口である。彼女のキラリとした眼は 彼の心を乱し、彼の大きく膨らむ鼻の穴は、彼が心から笑っている証拠を彼女に示し、グッと引き結ばれた 口は、彼女の決意を表す。彼女のちょっとした頬の隆起と白い肌は彼を夢中にするだろうし、 逆に彼の鼻に浮かぶかすかな黒いぶつぶつは、ほんの少し彼女を不快にさせる。しかし笑ったときに彼の目尻 に刻まれるしわは彼女をほっとさせ、彼女はその安心感のために、彼といっしょにいたいなと感じる。
私らは電子回路のような精神体だ。肉の壁をはるか後に、むこうがわの電子回路を求める存在だ。 肉はいわば、私らの精神を反映したものであるため、直接目に見えない電子回路を、肉にみるのだ。 容姿はうまれ持った時点で決定するのは当たり前の話だが、まず肉にあわせて電子回路がつくられて、 そのうち電子回路が肉を支配するようになる。人は肉に支配されたあと、肉を支配するようになるわけだが、 どうしてか世の中には、いまだに肉がオノレの心の反映であるということを知ろうとしない人がいる。 もちろん、社会や時代が求める理想的な肉はそれぞれ異なり、偶然その要求にそぐわない肉に生まれついた 人は、何かと生きてゆくのに苦労を感じることはあるかもしれないが、なにより今の肉を形作っているのは、 他ならぬ自分自身だということに、はやく気付くことが大切だ。笑った数だけ、目尻に素敵なシワが増えてゆくのである。
2006/5/30
考える前にやってみる。
いや、考えることは結構なことだが、考えすぎるのは良くない。スナイパーには馬鹿がなると 強いというが、考えすぎる人間の手はブレる。もしくは失敗を想像して、臆病になる。いわば想像が、行動を抑制する。 結局行動しなくなってしまう。しかし、実際は失敗を恐れずに行動したほうが良いことが多い。もっと言えば、 失敗を恐れつつも行動するのがベストだ。理屈っぽいが、恐れの識閾内で生じた失敗は、失敗ではなく 俺の糧である。失敗を失敗と言い切ってしまう心、それは自分の勇気の無さを韜晦する軟弱な心。 そして現実は、勇気をもって行動すると、本当にうまくいくことばかりだ。
もともと「うまくいく」とはどういうことか。勇気をもって失敗することは「うまくいってない」 ことなのか。そうではなく、とにかくやってみることが大切なのだ。いちばん苦しいのは、臆病風に吹かれて 行動を起こせなかったときであり、たとえその結果が悪くなるであろう可能性が9割を超えていても、残りの 1割を留保していたという事実は、長く俺を苦しめる。本当に苦しめられた。実に苦しめられた。そしてこれからも、おそらく。
考えすぎずにやってみる。
100年のスパンで考えろ。100年の時間のなかにおいて、たったの1、2秒のためらいがなんであろう。 とりあえずやってみる。一度やってみることは、堤防に蟻の一穴を開けること。あとは、状況と運と、俺の 隠された力が、小さな穴を広げ、奔流のように迸るに違いない。そして、やりたいことやって、言いたいこといって、 気持ちよく死のうか。
2006/5/30 #2
学校さぼって家でごろごろ、実に気分がええ。物事には優先順位があろうよ。俺が学校へ行くより大切だ と思うことがあれば、実は学校になんて行かなくていい。大学はそれを拘束しようなんてしない。単位さえ 落とさなければ良い。これこそが私的自治の原則だなぁと思う。とりあえず正午を過ぎたので、風呂にでも入って活動を開始しようか。
俺がいっしょに講義にゆく友達は、頭がいいのかどうかは別に勉強家で、とにかく前のほうの席ばかり をとる。先生の顔が近い。だから眠れない。そう思うから余計眠たくなって、このあいだハッと目を覚ますと、 自分のズボンに向かって、よだれが垂れている最中だったことがあった。急いでごまかした(手の甲でゴシゴシ?) 俺であったが、あいにく隣の見知らぬ男にだけは見られていたようだ。こいつ、さっき死刑制度に反対って所で 手を挙げていた野郎だよな。あっ、こいついま何かノートにメモりやがった。
「今日は大学の講義で、よだれ垂らして寝てるバカがいた。ホント、ヤル気ねえクセに前のほうに座るな って思った。この学校は、実に頭の悪い連中ばかりで嫌になる。」
とか書いてたりして。そんなわけないのに、頭が朦朧としていたので、何か自分のことを書かれたような気がしたんだ。 毎日の授業のテンションは、ざっとこんな感じで、そこまでヤル気がでない。法学部の先輩のゼミの話とか聞いてるほうが、 よっぽど楽しかったりする。まあそんな理由で学校を休んだわけじゃないのだけれど、そうなりかねない人ってのは、もう何人 かいるみたいだ。ふふ、みんな好きなことをすればいい。
とりあえず今日は事情があって部活にもでれないので、久しぶりに勉強でもやってみることにする。憲法なんかを、 しっかり勉強してみたいと思う。あはは、憲法だからね。
2006/5/31
■ 現在のステータス
正義:32/100 (堕落を憎む心)
情熱:34/100 (突き動かされる衝動)
知性:43/100 (考えようとする力)
ひとにぎりの勇気:70/100 (死を恐れない心)
アガペー:3/100 (自己犠牲的な愛)
エロース:78/100 (自己中心的な愛)
■ 理想のステータス
正義:80/100
情熱:40/100
知性:60/100
ひとにぎりの勇気:80/100
アガペー:10/100 ←この概念は嫌いです
エロース:90/100
今日は休みなので、理想をめざして突っ走ってみることにします。